正義の味方症候群
正義の味方症候群
たまにいるんですが、社会に出てから「○○であるべき」「××が決まってないとダメなんだ」「△△は間違ってる」って言っていろいろ進まない人がいるなーと思ってます。
もちろんそういう人の中にも仕事ができる人・スキルが高い人もいらっしゃればそうじゃない人もいらっしゃいます。
仕事ができる・できないを問わず、自分はそういう人のことを「正義の味方症候群」って呼んでたりします。
なぜそんな風に呼んでいるのか。。
悪者を決めたがる
これは持論なのですが「仕事には絶対的な正解・正義はない」と思っています。
それは「状況」「対象」「場所」「予算」「メンバー」などさまざまな要因によってできることも達成しなければならないことも変わってくるからです。
しかし、正義の味方症候群の方の一番やっかいなところは常に自分の中に譲れない正義があることです。
どのような場合に遭遇しても『自分の成功経験』または『自分の失敗経験』から作り上げた正義を外れることを許容できないのです。
そこから外れてしまうことは悪なのです。
こう言ってしまうとじゃあ、経験からのなにかを考えることは間違えなのか?と見えてしまうかもしれませんがそうではありません。
考えの出発点は経験からのものであるというのは正しいことです。
問題なのは、考えを固定化してしまうことにあります。考えが固定化されることで今の最適解を探すことをするのではなく自分の考えをいかに周りに納得させるかに腐心してしまいます。
これでは本末転倒でしょう。。
大切なことは自分の経験から正解を決めることではなく、今の現状起こっている問題・課題を解決することです。
それができなければどれだけ正論やべき論を語り押し付けたところでなにもしてないのと一緒です。
(時間を消費している分だけなにもしていないよりも酷い状態だとも言えますが、、、)
しかし、正論やべき論はときに必要になります。
そしてそんなときにも問題になることがあります。
正義の味方は味方をしたほうしか守れない
当たり前の話なのですが味方をした方しか守れません。
これが明らかな間違えでそこにいる人間の大半の味方となる状況ならばよいのですが、半々・ないしは4:6くらいの割合で意見が割れることも職場ではよくある状況です。
そんな中に正義の味方が登場するとどうなるでしょう。
火薬庫に火炎瓶を投げ込んだかの状態になる可能性が非常に高いです。
結論は出ず、その場の議論は真っ二つになり仕事は前に進まなくなり、メンバー同士の空気は最低なものになります。
しかし登場した正義の味方は味方をした方には称賛され気持ちよく去っていきます。
正義の味方は正義を語り・押し付けることが目的で仕事を進めることが目的ではないのですから、、、
その後の収拾に走りまわる一部のメンバーにしわ寄せがいき、しかもそのメンバーが評価されることはなくそういった縁の下の力持ちが去っていくという悪循環を生み出すことにも繋がりかねません。。。
みんな実は正義の味方なんだ
しかし、誰しもが程度の大小はあれ正義の味方なんです。
譲れないものがあったり、これが正しいというものがあったりしてそれが汚されることが許せなくて・・・
社会人に限らず、学生でも幼稚園児でも隠居した老人でもだれでも正義の味方なんです。
それを飲み込んで周りに歩調を合わせることを是とできるか
自分は絶対に正しいんだ!と声を張り上げ続けるのか
それによって、他社から正義の味方症候群に見えるかの違いなんだと思います。
自分もちょこちょこ我を出しすぎてあとになって今、正義の味方になってたと頭を抱えることもあります。
仕事に熱量を持って取り組む人ほど多いかもしれません。
度が過ぎないように気をつけていかないとなーと。。。